朝起きると身体が重い。
いつもの朝を迎えているのだが、身体がだるい。数日前から顔がむくむ。
飲み過ぎかも知れぬ。杯はさほど重ねていないが、ほぼ連日だ。
何か身体に変化が起きたのかな、と少し気になる。が、おそらく歳のせいと自分に言い聞かせる。

朝はすぐに仕事が始まる。厨房はほぼ一人仕事。発注、仕入れ、仕込み、全てを自分で仕切らなければならない。ま、ここは普通に仕事として許容範囲なのだが、負担になるのが、メニュー考案、作製、ともなう材料選定だ。
スマホに入れた予約を確認する。そのお客様の情報をできうる限り思い浮かべる。年齢、人数、予算はともかく、前回の料理、好み、冷蔵庫にある材料の多寡・・。
たくさんの情報が頭の中をよぎる。その情報を紙媒体であれ、スマホであれ、パソコンであれ、なるべく記録するようにしている。
忘れるのだ。早いときには数分で(あれ?)という状態になってしまう。
いつしかそういう自分にも慣れてきて、記録するのもさほど億劫でなくなってきた。

3月20日の売上累計が初めて対前年比を上回った。コロナ禍が明けて世間の日常は徐々に普通の日常に戻っていると聞く。そう思う。そう感じる。が、売上の数値は通常になかなか戻ってこなかった。
三月という歓送迎会シーズンも手伝ったのだろうが、ようやく数値として上向いてきた。
まだまだなのだが、瞬間的な売上増なのかも知れないが、気持ち的にホッとする。このまま月末まで延びて欲しいと切に願う。

春。いつもより身体が重い。だるい。自分でも顔のむくみがわかる。
春。風が強い。突風が、運転するバイクを身体もろとも運び去ろうとする。
春。シーズンも手伝ってお客様の増えた様が数値に表れる。
春。いろいろな変化に、ようやく新しい年の息吹を感じられるようなった。きっと来年の春は身体がもっと重くなるだろうに。それでも、春、来て欲しい。



ピアノの鍵盤

四谷飲食業喫茶組合という飲食店専用の健保組合がある。
私が加入している団体は戦後出来たらしいのだが、その生い立ちを私は知らない。ただ健康保険や厚生年金を代理でやってくれるために、私にとってはありがたい組織だ。前勤務先から加入しており、私が独立してからも会社として加入した。おつきあいは30年を優に越える。

私は単なる一会員としてずーっとおつきあいしていたのだが、この組織も例に違わず高齢化が進んでいた。気がつけば70歳の私が最若手の一人になっていた。
会員数が少なくなり、高齢化が進み、でも会計や年一の旅行積み立てなど執行部のやることはけっこう煩雑で多岐にわたる。

ある日、この会の会長から上部組織になる東京都飲食組合の総会に出てくれと頼まれた。何年もおつきあいしているのにこの会に何も貢献してないことが私は少し負い目になっていた。
引き受けた。

以後、この上部組織の会合が年に数回あり、出席することになる。
いつも銀座の東武ホテルだ。会の後には懇親会がある。パーティはドレスコードがあってもおかしくないくらい気品がある会場だ。当然相応する料理も出てくる。
会員が飲食店に関わる方たちが中心のため、会の開始は14時30分など、繁忙期を外して始まる。

この日は総会。決算が行われ、事業案が発表され、ともなう予算も説明がある。
ちゃんとした会合なのだ。そして総会終了後は隣室に設けてある懇親会。平日のため総会終了で帰る方も多かったが、私は残って料理を楽しんだ。
こういう会は料理も手の込んだものが出てくる。それが見たかった。食べたかった。だからというわけでもないが、アルコールは乾杯ビールを半分程度、他の飲み物もかなりおさえた。

この日の私はお腹の調子がちょっと良くなかった。
おならがプーピー出てくるのだ。トイレに行ってもおならは絶好調を維持していた。食事の最中もチョコチョコ音無しの構えで出てくる。匂いがないのが幸いだった。が、かなりの頻度で出てくる。途中、何度もトイレに・・・と思ったが、会話が弾んでいる状況で行くタイミングを失っていた。

そうするうちに夕方の5時になり閉会。
銀座から新宿のお店に戻るまでの所要時間は30分強。
直行すれば5時半にはお店に戻れる。開店時間を30分ずらすと留守居の女性に
昨夜から 頼んでいた。

東武ホテルを出て丸ノ内線「銀座」駅に向かう。ホテルから駅まで距離にして500mほど。人混みを避けるために地下道を歩く。丸ノ内線の改札口も地下道の延長にある。

ご存知だと思うが、銀座の地下道は東京駅にも皇居近くも日比谷公園にも繋がっている。複雑で巨大な地下街だ。それも曲がりくねっているだけでなく上に下にのアップダウンもある。短めの階段があちこちにある。

階段を駆け上がるときに、来たぁ!屁だ。
一段上がるごとに
パ、ピ、プ、パ、ポ
と短めの音が連発で出た。階段がピアノの鍵盤だ。
あっ・・
と後ろを振り返ったが、誰もいない。
ホッとする。
視線を感じ、後ろから顔を横に向けると、反対側に階段を下っている人がこちらを見ている。
(あは、聞こえてた・・・)
その人、笑うでもなく怒るでもなく足を止めて私の顔を直視している。

決まり悪くなった私、その人を置いていくように改札口への足を速めた。
残った階段を駆け上がる。

鍵盤を踏んだ足は、また音を出した。
ぷ、ぴ・・・・。




「事故は突然やってくる」の続き

事故後、事故を起こした運転手と何度もやりとりした。
会社名などは聞いたが、連絡先は運転手のみ。
営業用のトラックだから青(綠)ナンバー。
「もちろん、保険入ってるよね。」
と確認している。が、本当に入っているか、それを運転手が確認しているのかは別問題だと思ってる。
会社が保険に入っているとしても、その保険を使うのか、使えるのかも別物だと思っている。
事故を起こした会社(運転手から聞いた会社名)をネットで調べてみると、最初の方に、なんと埼玉県のブラックリストに載っていた。

会社から運転手に
「お前が起こした事故だから、お前が責任を持て!」
と言われれば、そういう経験のない運転手は途方に暮れる。そういう話しはたくさん聞いている。
不安は募る。

週に数回、トラックの運転手に電話した。
「いやあ、会社には話しているんですけど・・・。」
「担当者にもはなしてるんですけど・・・。」
電話での口調に嘘を言ってる雰囲気はない。

連絡先が運転手しかないから(ネットで会社名を調べても会社の電話番号が見つからない・・・)、ヘンに話しをこじらせて電話応答がなくなっても困る。
辛抱強く交渉する。

私が加入している保険屋に来て貰い、事故の対処の仕方を教えて貰う。私が感じている不安は、「そういう場合もあります。」と否定されなかった。そして
「どうにもできなくなったら、今、加入している保険でやりましょう。」

今日、保険会社から電話が来た。
やったー!
ほぼ20日ほど感じていた不安から解放された。






事故は突然やってくる

事故といっても、こちらは被害者の方。

時間は少し遡る。今月最初の日曜日2月4日のことだった。
この日、新宿五丁目の新年会が午後4時からあり、妻と二人で出席予定だった。
3時半過ぎ、一応フォーマル姿で準備をすませ、出かけようとした矢先に携帯へ一本の電話。
相手はお店の隣に住む方(女性)から。
「ねぇ、ねぇ、お店にトラックが突っ込んだわよ!」
えっ?
「大きなトラックがバックして、お宅の屋根の所を壊していったの。」
「後ろにね、パトカーがいてね、そのおまわりさんと話してるのよ、早く来て。」
電話では要領をつかめないが、タダならないことは分かった。私たちは自宅のビルを出たばかりのところ。妻に
「新年会、遅れるって町会長に伝えてくれ。オレは店に向かうから。」


 お店に着くとコンテナを積んだトラックが止まっており、その後ろにはパトカー。そしておまわりさんと当事者らしい男が話し込んでいる。
店を見た。
画像の上部の屋根部分、スレンレスのバーがゆがんでる。半分はバイクの足下に転がっている。
あー、あー、やっちゃってる・・・。

お店の前は丁字路になっている。その路地をトラックが曲がろうとし、曲がりきれずバックで切り返そうとしたところを、コンテナで引っかけたらしい。そのまま行き過ぎようとしたところ、たまたま後ろにいたパトカーがトラックを検挙したそうだ。
運が良かった?

事故検証をおまわりさんを交えて行った。
お互いの連絡先を交わし、自己検証が終わり、事故の後片付けをすませて、新年会の会場に向かう。

会場に入るとみなが起立しかけている。
宴会が盛り上がっている最中かと思いき、声だかに
「遅れて申し訳ありませ~ん。」
座が盛り上がって出席者があちこちに酒を組み合わせる場面かと思ったが、違った。
乾杯する直前だったのだ。
全員が起立を終え、それぞれ片手にグラスを持っている。
マイクが私の口元に・・・
えっ?
すっかり忘れていたが、私は商店会長として乾杯の発声を頼まれていた。
事故処理でただでさえ混乱している状態で、そのことを思い出すますまで
えっ、あ、おお、何?・・・
事故は突然やってくる。


油断

油断していたわけじゃないが、
お昼12時までのお客様数は2名。
このところ低調のランチ、ため息を交えつつ、声に出して
「お客様やーい、早く来てくださいませ~!」
2月はただでさえ営業日が少ない上に祝祭日連休が2回もある。
業者の支払いは明後日。まだまだ貯まってない。
2月だけに予約状況も芳しくない。
私の胸の内は、少々空気が重たい。

いきなり来た!
一気に来た。
2名、3名、5名、2名・・・・
カウンター越しに数えたのはここまで。
オーダーが次々と飛び込んでくる。
「お、よし、よし!」
今週のランチはAが「青椒肉絲」、Bが「カニ玉」だ。
少しでもお客様受けの良い定番メニューにしたつもりだ。

現在、厨房2名ホール1名の体制で営業している。
この人数では混んできたときには、お客様対応は少し厳しいが、、、、。

「焼きソバ2個」
「AランチにBランチ2個」
「担々麺2個」
「麻婆豆腐2個、焼きソバ3個」

オーダーが次々飛び込む。
その都度オーダーにあった皿をオーダー数とともに並べる。
調理補助をしている一人はお盆に、杏仁豆腐、サラダ、お新香、箸、スプーンなどをセッティング。
ホールの一人(今日は私の奥さん)は、おしぼり、お茶を持って行き、オーダーを取る。レジでお勘定をする。テーブルの後片付けをする。時々に電話を取る。
作業のひとつひとつは簡単なのだが、厨房以上に忙しい。

料理を作りながら、
あ、これはホールが間に合わなくなる・・・と察する。
調理補助に
「ホールに行って!」
「出来上がった料理をお客さんのところに持って行って!」

ほんの10分~15分程度なのだが、戦争だ。
身体も頭もフル回転。

飲食を経験した人でないとわからないだろうが、この状態が私は一番楽しい!



30分ほどしたら戦争は終息を迎えた。


なまけものはイノベーション上手!

お店がヒマな分、仕込みははかどる。
ほぼ一人で仕込むために、段取りはよく考える。
次の次くらいは考えながら目の前の作業をかたづける。
でもその仕事をやりながら、
(はて、オレはこんなに真面目だったっけ?)
いや、かなりの怠け者だったと思う。遊ぶことは大好きなのだ。
仕事ほったらかしで遊んでた記憶は数多くある。
遊び中心だったから仕事はなるべく早く終えたい。
早く終える方法は、悪知恵と呼べるくらい色々と考えた。
早く終える=楽できる、だったのだ。

家庭料理とプロの料理の違いで、よく
「手の込んだものは家では出来ないからね。」
と言うが、それは違う。
プロの料理屋は使い回しがいろいろできるからだ。
海老が入荷したら、いったん塩とカタクリで洗う。
洗った物を水ですすぎ、さらに塩、胡椒でぬめりが出るまで混ぜ合わせ、それに卵白を加える。海老のぬめりの中に卵白が馴染んだところで、カタクリで締める。ここまでが下味だ。下処理とも言う。
下処理した海老は、ここからエビチリにも使うし、エビマヨにも使う。炒め物、前菜と仕上がりはいろいろと様変わりする。
料理の本や料理教室で教わるのは下処理からの工程まで含まれるが、料理屋では下処理が済んだ状態から始まる。
だから早いし、味も安定する。見た目もほぼ毎回変わらず仕上げられる。
けっして手が込んでいるわけじゃない。

その下処理を含めて、毎日毎日のルーティンがある。
下処理は海老だけでなく、豚、鶏、牛、魚、野菜の類いまで無数にある。
そのほとんどを、「炒める」「煮る」「揚げる」という数少ない工程で終えるようにする。その組み合わせの妙であり、「何か」をちょっと加えるだけで素材はいろいろと顔を変える。
そう、女性の化粧と似ている。紅の色を少し変えるだけで様変わりする。紅とアイシャドウや頬紅の組み合わせと似ている。服やアクセサリーは料理で言えば食器にあたるのだろうか。

料理にしてもいかに多くの引き出しを持っているかというのが大きなポイントになると思う。
実際の作業では、その組み合わせを考えながら下処理を進める。
複雑な料理を作りたいためではない。楽して料理を仕上げたいと思うから、ヒマなときに神経を集中させて、楽できる(なまけられる)ことをあれこれ考える。

さあ、なまけるために、もうちょっと行程を少なく出来る方法を考えようかね。



お医者様から貰った薬(処方箋)を飲んでいる。
血糖値を下げる薬、血圧を下げる薬、尿酸を下げる薬、そしてそれらから胃を守る胃薬などなど。けっこうな薬量になる。実にカラフル。

薬は月一回の検診日に30日分を処方してもらう。
薬は横7列、縦3列、合計30日分の薬ケースに小分けにする。
それをながめているホール接客の女性がケラケラ笑いながら
「社長、楽しそー!」
と私をからかう。

あと何年生きられるか分からないが、そのうちの貴重な時間をこの薬の小分けに使わされるのが、癪だしそれが勿体ない。

以前、前立腺ガンを患ったときに、ガンの進行を抑えるため女性ホルモンを投滴されたことがあった。ガンの進行は緩和させたのかも知れなかったが、性欲はかなり抑えさせられた。お医者様からは副作用としての説明を受けていたが、こんなにもあらか様に効果があるのにビックリした。
中国だったか日本だったか忘れたが、捕虜か民衆に与える食事の塩分を控えさせたら数ヶ月後には暴動が治まったというのを読んだことがある。

そういうふうに勘ぐると、もしかして、今服用している薬の本当の効能は
「医者の言うことに間違いはない!」
いや、
「税金はしっかり納めなさい。」
「お上(国)の言うことには従順に従いなさい。」
なのかもしれない。



雪から一夜明け

寝床から起き上がる。
身体がふだんより重い。
「ヨイッショ!」
年齢とともにこんな場面が多くなる。
それにしても今日は・・・。
片足立ちでズボンをはく。
いつもはなんとかバランスを取って履くズボンなのだが、一本足での身体のバランスがとれない。

身支度を調え店に向かう。
部屋は6階だ。いつものように階段を使って一階まで降りる。
身体が・・・
腰が・・・
背中が・・・
えっ痛い。いつも状態でなく、打撲に似た痛みが全身に走る。
はて?
昨夜は12時近くまで飲んだけど、転んだ覚えもどこかに身体をぶつけた覚えもない。
なんだこの痛み?
階段の手すりを捕まりながら降りる。
ちょっとした弾みで転びそうだし、もしも転んだらやばい!
よっこらよっこらと手すりに助けながら降りる。

雪だ!
昨日の雪かきだ!
この身体の痛みは雪かきした後遺症だ。
今日になって出てきた。
わ、やばい、この痛み、仕事に支障を来す!

70歳という年齢をあらためて痛みを通じて感じる。
鹿児島育ちの私は雪が降るとワクワクしていた。
昨日もそうだ。
雪かきが楽しい・・・・。
楽しいけど・・・そんなこと言ってられない・・
痛い!
雪やコンコン・・・
身体がコンコン・・・
痛い!







妻の夢

「ねぇ、ねぇ、聞いて。」
宴会がまさに始まろうとする、その時にカウンター越しに妻が厨房の私に話しかける。
「急ぐ話しか?でなきゃ、後にしてくれ。」
「ふん・・・だ。」
不満そうな、その様子で急ぐ話しじゃないのは分かった。

宴会が落ち着き、ある程度の後片付けが終わった時点で
「話しって何だ?」
「ねぇ、ねぇ、私、夢見たの!」
はぁ?
どこか天然どころのある妻の顔を見ながら
「他のスタッフやお客様もいるんだからな。ちゃんとした話しなんだろうな?」
「私、夢見たの。」
(はぁ!仕事中にする話しかよ・・・・。)
「で、・・・」
「夢の中で嘉博さんが出てきたの。」
部下の前やお客様の前では私のことを”社長”と呼ぶのだが、プライベートでは私のことを名前で呼んでいる。

しかし一気に力が抜ける。
「それで・・。」

妻が夢の中で、私が出てきたこと、料理を作ってくれたなど、妻に対して行った行為のあれこれを話す。
妻には仕事のことでふだんよく無理を言ってるから、他愛のない話しでも ある程度は聞いてる。

一通り聞いたあとで妻に言った。
「おい、勝手にオレのことを夢の中で出しているんだろ。オレの出演料は?」









久しぶりの友

正確に言うと友達じゃない。
同い年なのだが、大変お世話になった方だ。
大学の教授をされている方だ。
70歳で教授の仕事も定年だと、今日会うなり言われた。
東京と京都の大学で教壇に立たれている。
ワインに詳しく、美味しいものにも詳しい。この先生といろいろなレストランに食べに行った。お互いに美味しいところ、美味しい料理の披露合戦になっていた。
途中コロナ禍もあってか、久しぶりの、数年ぶりの予約だった。宴席は6名。
5000円のコース料理を頼まれていた。
それなりに気を遣った料理をサービス気味に出した。
宴席のお仲間は先生や私と同年齢か、ちょっと上の、いわば高齢者にちかいメンバーだった。

料理が出終わり、宴席の近くに行くが、仲間内の話しに興が乗ってか、私への声かけはなかった。
そして、宴会は終わりを迎え、それぞれがコートなど帰りの身支度に。
先生のそばに行き、お礼を伝える。
「京都での生活が中心になるし、東京へも来るけど、昔みたいには来れないね。梅さんも元気で頑張って。」
・・・・・・
料理に対しての言及はなかった。というか、そういうものへの興味より余生、残り時間の使い方に気が向いていた。
容姿も立ち居振る舞いもスマートな先生だったのだが、その先生からアクが抜けかけていた。アクと言うより欲がなくなってきているようだ。
70歳という同い年としてその気持ちはすごーく分かるのだが、やはり寂しい。

「梅さん、元気で・・・」
去り際にふたたび言われた。
「先生もお元気で。」

う~ん、この先生とは違う挨拶で別れたかった。
「京都で美味しいお店を見つけたから、梅さん、今度いっしょに行こうよ。」
お世辞でも、叶う夢でなくてもいいから、そんな言葉を聞きたかった。

なんか70歳になったら、寂しいことが続く。
そのことが余計寂しい。